2023.08.03
心書
心書Vol.112【見方】
心書Vol.112
【見方】
先日掃除をしておりますと、目の前で蜘蛛の巣に小さな蝶々がひっかかりました。
その姿を見て、いつか新聞か何かで議論されておった記事を思いだしました。
ある保育園で、自然観察をしている時に、児童と先生の前で蝶々が蜘蛛の巣に引っかかりました。
先生は「蝶々さん可哀想だから、助けてあげようね」と蝶々を逃したそうです。
この行動について、議論がなされておりました。
子どもの意見も賛否があったそう。
「蝶々が可哀想だから、助けたほうがいい」
「クモは食事を取られてしまった。もしかしたら、お腹がすいて死んでしまうかもしれない。」
どちらも否定も肯定もしません。
それぞれ命の価値観で答えが異なるのかと思います。
ただモノには見方で全く異なる見方があり、それは人と違うということ。
自分の正しさや間違いと信じるモノも、もしかしたら他の人とは全く異なることを意識しつつ、他者と付き合っていく必要もあるのかと思いました。
【見方】
先日掃除をしておりますと、目の前で蜘蛛の巣に小さな蝶々がひっかかりました。
その姿を見て、いつか新聞か何かで議論されておった記事を思いだしました。
ある保育園で、自然観察をしている時に、児童と先生の前で蝶々が蜘蛛の巣に引っかかりました。
先生は「蝶々さん可哀想だから、助けてあげようね」と蝶々を逃したそうです。
この行動について、議論がなされておりました。
子どもの意見も賛否があったそう。
「蝶々が可哀想だから、助けたほうがいい」
「クモは食事を取られてしまった。もしかしたら、お腹がすいて死んでしまうかもしれない。」
どちらも否定も肯定もしません。
それぞれ命の価値観で答えが異なるのかと思います。
ただモノには見方で全く異なる見方があり、それは人と違うということ。
自分の正しさや間違いと信じるモノも、もしかしたら他の人とは全く異なることを意識しつつ、他者と付き合っていく必要もあるのかと思いました。
想生堂
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